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オーストラリアワイン

代表的なワイナリー



ヘンスケ
 ■設立年:1868年 
 ■オーナー:ステファン ヘンスケ
 ■醸造責任者:ステファン ヘンスケ、プルー ヘンスケ


■ヘンスケ ワイナリー ストーリー
ヘンスケ家は、1860年代の中頃から南オーストラリアのバロッサ ヴァレーでワイン造りを始め、この地区で最も由緒あるワインメーカーとして知られている。一代目のヨハン クリスチャン ヘンスケから現在5代目のステファン ヘンスケに至るまで、それぞれの世代がワイン造りに全精力を傾け、現在までワインの品質における信頼を築いてきたのである。

なかでも1958年、ヘンスケ家4代目のシリル アルフレッド ヘンスケが、ペンフォールド グレンジ(Penfolds Grange)と並んで世界中の赤ワインのなかでも非常に名の知られている最初のシラーズ ヴィンテージである“ヒル オブ グレイス(Hill of Grace)”を生み出したのである。「神の恵みの丘」という教会の側のヴィンヤードから収穫できる“ヒル オブ グレイス”は、樹齢130年にも及ぶシラーズ100%で造られている。
現在、ワイナリーを運営している5代目、シリルの子供であるステファンは、オーストラリア各地でワイン造りを学び、ドイツのガイゼンハイム研究所で修行した後、妻プルーの絶大な協力のもと、ヘンスケ家の伝統を守りつつ、世界中でもトップクラスのワインを造り続けている。
これだけ有名になりながらも、ヘンスケ ワイナリーは現在に至るまで高いレベルを保った家族経営を続けており、地道なワイン造りを行っている。オーストラリア特有のシラーズ種のほか、メルロやカベルネなど多くのブドウ種を扱っており、いずれもその生産量の少なさから日本での輸入量も非常に少なく、入手困難なアイテムである。

■ヘンスケ家5世代にわたる歴史
ヨハン クリスチャン ヘンスケ(1803年〜1873年)



ヨハン クリスチャン ヘンスケは、自由を求めて祖国ドイツのブランデンバーグから南オーストラリア州に移住したのが1841年10月のこと。オーストラリアまでの長い航海の途中、妻と2人の子供は亡くなり、弟のヨハン マーティンとその家族は航海を無事、乗り切ることができたのである。
オーストラリアに着いた当初、彼は車輪製造人、農家、レンガ職人として働いていたが、1862年には、ドイツのベストなワイナリーの条件と似通っているバロッサ地域のノースラインの土地(後にキイネトンとして知られる)を購入する。2階建ての小さなワインセラーの建物を作り、1860年代半ばには息子ポール ゴットハードと共に、小さなブドウ畑作りに励むのであった。1968年には300ガロンのワインを醸造することに成功し、これがヘンスケ家のリースリング、シラーズの始まりである。

ポール ゴットハード ヘンスケ(1847年〜1914年)



ヨハン クリスチャンの死後、息子ポール ゴットハード ヘンスケが跡継ぎとなる。1847年生まれのポールは、ヨハン クリスチャンの後妻との間に生まれた8人のうちの3番目の子供であった。1871年に妻、ヨハナ マチルダ シュルツと結婚し、父がつくり上げてきた伝統的なワイン醸造方法を守っていった。ワインの生産量が増加すると共に、ナーデンバーグ教会(Gnadenberg Church)の近くの土地(後にヒル オブ グレイスとして知られる)を購入。
1888年には、ノースライン地域において、ブラスバンドを結成し、後にヘンスケファミリーブラスバンドとして有名になるのであった。ほとんどの楽器はドイツから輸入されたもので、ユーフォニアム(中低音楽器)、クラリネット、コルネット、これら3つの楽器は、現在でも大切にヘンスケ家に大切に保管されている。ポール ゴットハードはナーデンバーグ教会でオルガニストとしても長らく活躍していた。

ポール アルフレッド ヘンスケ(1878年〜未明)



3代目として、ポール アルフレッド ヘンスケが跡継ぎとなり、農場、ワイナリーを経営する。南オーストラリア州にあるノースライン ルシェラン学校を卒業後、家の農場、ワイナリーで手伝いはじめ、一時期は羊毛刈り込み職人でもあった。ワインの需要が拡大するとともに、農場よりもワイン業に力を入れるようになり、ワインセラーの建物の増築、ブドウ畑の面積を拡大させていったのである。
1907年にヨハナ イダ セルマ スタニツキと結婚後、数人の息子たちに恵まれる。健康で活発であったポール アルフレッドは、ウォーキング、乗馬を趣味とし、ドライブも84歳まで楽しむほどであった。父、ポール ゴットハードと同じくヘンスケファミリーブラスバンドを続け、ナーデンバーグ ルシェラン教会(Gnadenberg Lutheran church)にて50年以上もオルガニストとして活躍する。

シリル アルフレッド ヘンスケ(1924年〜1979年)



シリル アルフレッド ヘンスケは、ポール アルフレッドの次男として1924年に生まれる。11人の兄弟のうち、彼のみがワイン造りに興味があり、南オーストラリア州のヌリウットュパ高校を15歳で卒業後、すぐにワイナリーで働き始める。1950年には数年、他のワイナリーで修行をするなどし、彼は常に実験に実験を重ね、いかにおいしいドライな赤ワイン、白ワインを醸造できるか研究していったのである。1952年には、酒精強化ワインともに135,000 リットルも醸造するほどになるのであった。
リースリング、シラーズ種などある一定のブドウ種はバロッサ ヴァレーよりもエデン ヴァレーで育てたほうが品質の良いものが出来上がることを発見、また現在有名となったヒル オブ グレイス(Hill of Grace)、マウント エデレストン(Mount Edelstone)のブドウが育てられるヴィンヤード作りに励むなど1950年代半ばには、オーストラリアのワイン業界のなかでもシリルの名は知られていくのである。1970年、オーストラリアのワインメーカーとして初めてチャーチルフェロー賞を受賞。ドイツ、カリフォルニア、南アフリカでワイン醸造の勉強をするなど活発な人物であった。
1947年にドリス エルヴィラ クレンと結婚し、3人の子供に恵まれる。長男ポールは、オーストラリアワイン研究所の微生物学者、ステファンは5代目ワインメーカーとなり、クリスチャンは弁護士である。

ステファン カール ヘンスケと妻プルー(1950年〜現在)



シリルの死後、5代目としてステファン カール ヘンスケがワイナリーの跡継ぎとなる。1950年12月に南オーストラリア州のアンガストンで生まれたステファンは、兄ポールよりもワイン造りに興味を示し、アデレード大学で科学の勉強をする。1973年に大学を卒業後、ハンター ヴァレーのワイナリーにて修行。
その後、妻プルーと共に、2年間ドイツのワイン学校でさらにワイン知識を深め、その間もドイツの2つのワイナリーで修行を積む。
オーストラリアに帰国後、ニューサウスウエールズ州のワガワガにて、自国のワイン業に遅れをとらないために、最新のオーストラリアワイン醸造を学ぶ。
当時、ステファンが父シリルと共に働く一方、妻のプルーは、ローズワージー カレッジにおいて、ブドウの木について研究を進める。1981年に、プルーとステファンはさらなる研究を進めるためにアデレード ヒルズのなかのレンズウッドにある林檎の果樹園を購入。2年後には自然災害、火事がおこり、果樹園は灰となってしまうが、全ての切り株を取り除き、ブドウ畑に変えていったのである。このヴィンヤードが後に、アボット プレイヤー(Abbotts Prayer)として知られるようになるのである。涼しい気候のもとで育つ、ピノ ノワール、メルロ、シャルドネ、リースリング、カベルネ ソーヴィニヨン種などが植えられていった。
1986年にプルーは、マウント エデレストン(Mount Edelstone)、ヒル オブ グレイス(Hill of Grace)のさらなる品質向上を目指して、最高のシラーズ種のブドウを造るために研究を重ねるのである。彼女の研究は、オーガニック、化学肥料、格子、天蓋、土壌など広範囲にわたり、現在も研究は続けられている。一方、ステファンは、たるでの発酵方法について研究を重ね、品質の良いオークの香りがワインに漂うような樽をバロサ ヴァレーのローカル樽職人に、特別に作成してもらうことになる。
1988年から2年間、ステファンとプルーは、ブルゴーニュ、ボルドー地区のワイン造りを学ぶためにフランスに移り、帰国後、レンズウッドヴィンヤードでの自分たちのワイン醸造方法の品質向上に努めるのであった。彼らには3人の子供、ヨハン、ジャスティン、アンドレアがいる。130年以上、5世代にもわったてヘンスケ家が築き上げてきた伝統をステファンは妻プルーとともに守り続けているのである。

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